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平野薬博物館 |

鎌倉時代から続く奥野家では代々 お産の薬など製造販売していた。

戦後は製造していないが、看板や 製薬の本、道具などが残っている。
開館日:7月第4日曜 13:00〜16:00平野郷は摂河泉の中継地として、各地へ往来する道が拡がり、平野川 の水運もあって、多くの商人が集まり在郷町として繁栄しました。 そこには平野の名産品も生まれ、一大集散地として平野の名を知らし めた繰綿や、豊臣秀吉が催した醍醐の花見に用いられた「平野酒」、殿様 への献上品にもなった、風味よい「平野飴」などと共に、奥野家の産之薬 「調胎湯」は土橋家の「元補丹」など、他の平野薬と共に近郊の人々が 競って買っていった品物です。 奥野家が平野に定住されたのは鎌倉時代で、遠祖覚舜は京都仏光寺了 源上人の高弟でありました。文明年間(1469−86)西舜のとき還俗されて 薬種商となり、以後平野薬種合薬仲間22の中心的存在として、代々 の御当主清順は平野の文化人としてもよく知られています。 当時の看板や御商売の道具など、今流行のレトロな品々で一杯です。
